水がめ座すごろくの開発日誌

ゲーム製作のメモやその他あれこれ

ゲーム製作の初期衝動

 

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本日は「ひらがな将棋」の説明書を書いた。

書きながら、ジョーカー的な役割を持った「◎」の駒を付け加えることを思いついた。

「◎」は、ひらがな一文字であれば何にでも代用できる駒とする。

これは間違いなく面白い!と確信できる。

このように、ゲームのルールや設定の一部を変えることで、飛躍的に「このゲームは良くなった」「より面白味が増した」と実感できる時は実に嬉しい。まさにゲーム作りの醍醐味である。

 

ところでロック関係の雑誌に頻出する「初期衝動」という批評語があるのだが、他のジャンルでは例えば「純文学の初期衝動」、「ケーキ作りの初期衝動」、「王手飛車取りの初期衝動」、「万引きお婆さんの初期衝動」と言ったりはしない。

ただ、ゲーム製作の場合は比較的「初期衝動」という言い方が成立しそうに思える。

例えば、

「人を楽しませたい!」

「優れたゲームから得た感動を再創造したい!」

といった、激しく燃え盛るような、ゲーム製作の初期衝動というものはアナログ・デジタルを問わず幅広く世界各地に存在していそうである。


私は実際にささやかなゲームを幾つか作ってみると、自分の決めたルールにプレイヤーが素直に従ってくれるのでやや驚いた。

 

私はこのたび、こういうゲームを作ってみました。

ルールはこうです。

 

と説明するだけで、皆が「ふんふん」と聞いてくれて、素直に指示に従って、予想通りに一喜一憂したりする。

「そんなに素直に喜んだり悲しんだりしてくれちゃって、いいんですか?」

と訊きたくなるほどであった。

ゲーム作りの初期衝動には「俺様の作ったルールに従わせてやる」という、権力欲のようなものが少なからず関係しているのではないかと考えたことすらあった。

 

権力欲とはまた別に、確率的な広がりを簡単に産み出せるという楽しさもある。

例えば「ひらがな将棋」の場合、駒を21個×裏表2種×先手用と後手用2セット作るだけで、

「ゲームの中で2~3文字の言葉が数千個できる」

という可能性を産み出せる。

「◎」を追加するとさらに可能性が広がる。

実際にはこのゲームを行った人間はまだほとんどいません、という段階で、既にそれだけの可能性と限界がハッキリと思い描けるという快感は、いったい何であろうか。

 

また最近は「カードをこういう感じにしてみたい」という、ゲーム作りの一部分が肥大した、変な欲望も出てきた。

実際にこのゲームを何人が行うだろうか、とか、本格的に売ったら利益はどうなるか、といった数的な勘定とはまったく別に、「こういうカードを作ってみたい」「見てみたい」「触れてみたい」というフェティッシュな欲望の対象となっているのである。

私などはまだ名刺作成ソフトを駆使する程度のレベルだが、長い時間をかけて精密なボードや駒を自作する人、カードのデザインに本格的に凝る人など、ゲーム作りの最終工程に近い部分への愛情や執着が感じられるゲームもかなり多い。こうなると初期衝動はどこへ行ったのか、分からないほどである。