水がめ座すごろくの開発日誌

ゲーム製作のメモやその他あれこれ

ゲームを作るようになって初めて知ったこと その1

 

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「ゲームを作るようになって初めて知ったこと」が幾つかある。

幾つまで挙げられるか分からないが、5つくらいはすぐに思い浮かぶので、何回かに分けて少し整理してみたい。

その1は「ゲームは試作品の時点でもそこそこ面白い」ということである。

前々からこのブログをお読みの方はご存知の通り、夏ごろに「プレイヤーが途中で保険に入るすごろく」を作ってみたくなって、実際に作ってみた。

それでたまたまツイッターで「ゲームを製作している人が集まって、お互いのゲームをやる」という主旨の集まりを見かけたので、行ってみた。ここが運命の分かれ道というか何というか、その時にあれこれやってみたゲームの数々が面白かったせいで製作に弾みがついて現在に至るのである。

その後も、市販のゲームや試作品段階のゲームをやる会に何回か参加してますます強く思うのは、なぜかアナログゲームの場合は完成度30~70%くらいの、いわば中途半端な段階でも、そこそこ楽しめる、面白い!ということなのである。

 

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これがもし、

「書きかけの小説をお互いに読む会」

「撮りかけの映画を鑑賞する会」

「作りかけの芝居を演じる会」

だったらどうか。

会に行く前から退屈し、行ったら行ったでその後は「二度と行きたくない」「時間を返してくれ」「胸糞が悪い」ということになりかねない。

というより、まず行く気にならない。

思うにゲームというものは、今どき珍しいほど「勝ち」「負け」がはっきりしており、つまり物語としては原始的なくらい単純な流れ(敵や困難や障害が現れる)と結末(勝つか負けるか)が強固に保証されている。

プレイヤーはその単純なルールと流れに身を任せれば、一定の盛り上がりと結末が味わえるという訳で、だから素人がゲームを作ってもそこそこ結構の整った面白さが生みだせるのではないか。

 

おそらくゲームという遊びは、単純性という点においてはフィクションよりもずっとスポーツ観戦(や、競技そのもの)に近い娯楽なのではないだろうか。

そう考えてみると、競技のプロとしての囲碁や将棋の棋士は、作家や映画監督よりもずっとスポーツ選手に近い存在である。

しかしながら、アナログゲームを行っているプレイヤー(たち)は芝居を演じているような側面もかなりあると私は考えているので、その辺りが少々ややこしい(それはまた別の機会に)。